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島田市 平和のつどい(令和3年度:規模縮小関係者のみ開催)
現在の日本にでは、戦争を知らない世代が人口の8割以上を占め、多くの尊い命を失った歴史的記憶は薄れゆく状況にあります。亡くなられたすべての人々を追悼するとともに、戦争による惨禍が再び起こることのないよう世界の恒久平和を願い「島田市平和のつどい」を開催します。(2002年より犠牲者の冥福を祈り、慰霊のつどいが行われています。)
【令和3年度開催について】
令和3年度「島田空襲被爆者慰霊のつどい」及び「島田市平和祈念式典」は、新型コロナウイルス感染症の影響を鑑み、規模を縮小し関係者のみで開催します。
【島田空襲被爆者慰霊のつどい】
・・・昭和20年7月26日午前8時34分、扇町に1万ポンド爆弾が投下され、多数の犠牲者と甚大な被害をもたらしました。平成3年に愛知県の市民団体が米軍の文書を調べ、扇町に投下されたこの爆弾が、米軍の原爆投下部隊が原爆投下訓練で使用した長崎型原爆の模擬爆弾(通称パンプキン)の一つであったことが判明しました。
この爆弾をはじめ、市内でも戦争により多くの尊い命が失われました。これらの歴史的事実をあらためて認識するとともに、恒久平和を願い、戦没者の御霊を慰めることを目的として開催します。・・・
【島田市平和祈念式典】
・・・戦争により亡くなられたすべての人々を追悼するとともに、戦争による惨禍が再び起こることのないよう世界の恒久平和を願い、8月15日プラザおおるりにおいて島田市平和祈念式典を開催しています。・・・
●式典の開催縮小に伴い、式典の様子を島田市公式YouTubeにて映像配信(静岡県立島田工業高校情報電子科放送技術班による映像配信)
「島田空襲被爆者慰霊のつどい」及び「島田市平和祈念式典」の映像配信は、静岡県立島田工業高校情報電子科放送技術班の生徒さんの協力により、生中継で映像配信を行います。また、今回の「島田空襲被爆者慰霊のつどい」では、扇町公園より野外撮影での生中継となります。
式典へ出席できない方や高齢の被爆者遺族の方、また、島田空襲を知らない若い世代など、自宅のパソコンやスマートフォンから視聴できますので、ぜひご覧ください。
映像配信はこちらをクリック⇒島田市公式YouTube
【島田市平和祈念事業展示】
戦争の記憶と平和の尊さを語り継ぐため、戦争や平和に関する展示を開催します。今年度は、市内の高校生からなる島田市平和祈念事業実行委員会の高校生委員の皆さんが企画・制作した「平和七夕」を展示します。こちらの「平和七夕」は、来場者の皆様も参加することができます。
●島田市平和記念事業実行委員会高校生委員について
島田市では平成7年度から実行委員会形式で平和祈念式典を実施してきました。令和3年度は、若い世代のアイデアや意見をより一層取り入れて形にしていきたい思いから、式典の企画・運営に参加する高校生委員を募集し、市内3校(島田商業高校・島田樟誠高校・島田工業高校)より8名の高校生に応募いただきました。高校生委員達は、自分たちをはじめ若い世代に平和を継承することを目的に、企画「平和七夕」を立案しました。こちらをクリック⇒高校生委員による平和七夕について
●高校生委員が「島エネマルシェ」と「島田図書館」へ出展
高校生委員が「島エネマルシェ」と「島田図書館」へ出展し、平和七夕を通じ市民等から平和の願いを集めます。島エネマルシェチラシ⇒こちら
主催:島田市 企画、運営 島田市平和祈念事業実行委員会
・・・・・島田の空襲・・・・・
1942年(昭和17年)ミッドウェー海戦に続き、1944年(昭和19年)、マリアナ沖海戦と戦局の主導権を握ったアメリカ軍はB29爆撃機で日本本土への空襲を始めました。
攻撃の対象は、はじめは重要軍事関連施設でしたが、後に都市部への無差別な爆撃が行われ、静岡県内でも、静岡、浜松、島田、沼津、下田、清水などが大きな被害を受けました。
日本を目指すB29爆撃機は、レーダーを警戒して富士山を目指し海上を飛び、陸地が近づくと高度をとり御前崎から金谷を通過し大井川上流域の上空で各々がそれぞれの目標へ向かうコースをとっていたため、金谷や川根付近ではB29がよく目撃されていました。
1944年6月25日御前崎町(現御前崎市)に投下した大型爆弾が県内への初めての空襲となり、翌1945年(昭和20年)1月藤枝町(現藤枝市)が空襲されます。同年1月末大長村(現島田市)上空での空中戦で日本軍の一機が撃墜され、また5月29日午前10時頃、愛知県の清洲飛行場から飛び立った日本軍の青年(20歳と22歳の2名)が乗る戦闘機1機が大井川上流域でB29に体当たりし墜落をさせましたが、7月24日に島田町(現島田市)が初めて空襲に見舞われ、数名が負傷します。
さらに島田市への空襲はつづきます。
1945年(昭和20年)7月26日午前8時34分、北東の方向から飛来したB29が扇町普門院前の入り組んだ路地に爆弾を投下、多数の犠牲者と甚大な被害をもたらしました。
この爆弾は、1万ポンド(約4.5トン)特殊高性能爆弾「ファットマン」通称「パンプキン爆弾」と呼ばれている爆弾で、米軍の原爆投下部隊が原爆投下訓練で使用した長崎型原爆の模擬爆弾の一つであったことが戦後の調査によって確認されています。(長崎市に投下されたプルトニウム原爆とサイズも重量もほぼ同じの爆弾であることが確認され、また同型の爆弾は日本各地に49発投下されています。このうち3発が同日7月26日に島田と浜松、焼津に投下されました。)
その後もアメリカ軍により7月27日、28日、29日、30日、8月1日、8日と島田市への攻撃は続き8月15日終戦を迎えます。 (参考 引用:島田市博物館図録「島田と太平洋戦争―明日へと語り次ぐ願いー」)
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現在、 爆心地の扇町公園には平和之礎が建立(昭和56年5月)され、
扇町公園横の普門院にはパンプキン爆弾の破片痕が今も残っています。
開催日時 | ●島田空襲被爆者慰霊のつどい(※規模縮小 関係者のみ) 日時/令和3年7月26日(月)午前10時から ●島田市平和祈念式典(※規模縮小 関係者のみ) 日時/令和3年8月15日(日)午前10時15分から ●島田市平和祈念事業展示 日時/令和3年8月13日(金)~8月16日(月)午前10時~午後4時まで ●島エネマルシェ 日時/本通五丁目会場(7月25日(日)9時00分~正午)・島田市図書館(7月25日(日)13時00分~15時00分) |
開催場所 | ●島田空襲被爆者慰霊のつどい: 扇町公園(島田市扇町7番の1) ●島田市平和祈念式典: おおるり ホール(島田市中央町5番の1) ●島田市平和祈念事業展示: おおるり 展示ホール(島田市中央町5番の1) ●島エネマルシェ 島田市本通5丁目と島田図書館(島田市本通三丁目3番の3) |
お問合わせ | 地域生活部市民協働課 地域づくり担当 ☎0547-36-7197 / fax0547-37-8200 |
WEBサイト | https://www.city.shimada.shizuoka.jp/gyosei-docs/heiwanotsudoi.html |