所在地 | 島田市船木2380 |
電話番号 | 0547-38-0032 |
営業時間 | ― |
休業日 | ― |
入場料 | ― |
駐車場 | あり |
ジャンル |
歴史
神社・仏閣
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「日本最後の仇討ち」 彰義隊9番隊長 仁義厚き大谷内龍五郎が自害した医王寺
「日本最後のあだ討ち」と言われた大谷内龍五郎の墓があることで知られており、大谷内は、彰義隊に加わった後、牧之原の開拓にも参加しています。
彰義隊の9番隊の隊長であった大谷内は部下の起こした刃傷事件の責任をとって、この寺を借り受け切腹したと伝えられています。
しかしこの「仇討ち」の内実は、旧新番組と旧彰義隊の争いであり、牧之原に先住していた旧新番組の面々には、この地に旧彰義隊を迎え入れることに強い異論をもっていました。
お互いが、刀を抜けば、開墾どころかこの牧之原は多くの者の血で染まることとなってしまいます。事の理非を問わず、大谷内が自ら進んで首を渡せば、旧彰義隊の隊員たちも諦め、旧新番組側も面子が立ち、万事丸く収まるという内情があったのです。
大谷内は、明治37(1870)年12月20日 医王寺にて 潔い見事な最後を遂げました。享年36歳。
大谷内は、辞世の歌として
「むら雲に 月はかくれてありしかど 今日はれて行く 死出の山みち」の歌を、そして、妻にあてて「昨日まで 曇りし空の今日晴れてつるぎの舟に のるぞうれしき」の歌を残しています。
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