白岩寺の幽霊軸
今からおよそ二百三十年ほど前のこと。ひとりの若者が、りっぱな絵かきになろうと、東海道をひとり、絵の修業をつみながら旅をつづけていた。
島田の宿にやってきて、あるはたごに泊ったときだった。
(きょうも、何かかかなければ・・・。何をかいたらよいか、さっぱり画題がうかんでこん。こんなことでは、とてもよい絵かきになれん。)
と、何かかこうかこうと思いながら、時をすごしていた。いつか、夜ふけになってしまって、はたごはしんとしずまりかえっていた。
若者は、用便に立って、ろうかに出ると、むこうのろうかのくらがりのなかに、ぞーっとするような女の姿がとび出してきた。
若者は、おどろいて、がたがたふるえだしたが、なんでも見てやろうという絵かきの気持ちが、逃げだしたくなる心をおさえて、じっと目をこらして見た。
すると、かみをふりみだし、着物のすそをみだしながら、ふわりふわりと歩いている。
なお、よく見ると、青白い顔をしてやせこけた女であった。
「うーむ。おそろしい女の姿だ。」
若者は、よしこれをかいてみようと思って、その夜はひとまずふとんをかぶった。
ところが、目をつぶれば、ぽーっと、さっきの女の姿がうかんでくる。眠ろうとしても、あたまのなかに幽霊のような女がますます強くうかびあがってくる。
とうとう夜が明けてしまった。明るくなると、さっそく、それを絵にかきはじめた。あけてもくれてもへやにとじこもって、おそろしい女の絵をかきつづけた。
いく日かののち、やっと絵はできあがった。若者が夜見たとおりのすさまじい姿の絵であった。筆をおいて、かきあげた絵をながめていると、はたごの女しゅうが、おぜんをはこんできた。その絵を見るなり、
「ひゃーあ。ゆ、ゆうれい。」
と、おぜんをなげ出して、逃げていってしまった。
若者は、せっかくかいた絵だが、こんな気味の悪い絵をもち歩くのも気が重く、くるくるまいて、はたごの主人にくれて、旅立っていった。若者の去っていったあと、はたごの主人は、その絵を開いてみた。
あまりのすごさにびっくりぎょうてん。ぞっとせすじが寒くなり、
「こりゃあ、またなんとおそろしい絵をもらったもんだ。こんな絵、とてもかざっておくわけにゃあいかん。」
と、またくるくるまいて、戸だなのおくにしまいこんでしまった。
それからしばらくして、はたごの主人は、どうしたことか、からだのぐあいがわるくなって、ねこんでしまった。とまり客もめっきりへってしまった。よくないことばかり起こるようになったので、うらない師をよんで見てもらうと、
「この家にある幽霊の絵にたましいがはいっているから、そのさわりがでるようじゃ。」
という。
宿の主人は、しまいこんでおいた絵を思い出し、あわててそれをとり出して、ひとにくれてやった。
すると、すーっとつきものが落ちたように、からだがかるくなって病はなおってしまった。元気になると、はたごもはんじょうするようになった。
ところが、こんどは、絵をもらった人の家によくないことが起こりはじめた。
「こりゃあ、お寺におさめて、たましいをしずめてもらわにゃだめだ。」
と、その家の人は、白岩寺にもっていった。
この絵をかいた若者は、のちに名高い絵かきになった円山応挙だったという。
白岩寺
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