所在地 | 島田市川根町笹間上706番地の1 (登城口は、登福寺境内の縄張り看板[登福寺の住所:島田市川根町笹間上729]を右手に進み、突き当りを左折、通路を道なりに進むと石上城看板有り。 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 登福寺と公民館の前に駐車場あり。両施設で祭事等が行われている場合は、駐車できない場合もある為、 利用の際は登福寺(☎0547-54-0052)に、念の為ご確認ください。 |
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沢に囲まれた地形を生かし城主屋敷と詰城が一体化された、コンパクトな中世の山城
川根笹間の登福寺の東尾根上に位置する中世の山城です。
築城時期については不明ですが、南北朝時代(1336~92年)南朝方に属し、徳山城(川根本町)の支城であったいわれ、占地および縄張りから戦国期の武田系城郭の類型に当てはまるとされています。
代々この地を治める石上氏が城主となり、正平8,文和2(1353)年に遠江国の守護今川範氏に攻められて落城し、今川氏の支配となりました。さらに桶狭間の戦いの後、今川氏から武田氏に支配が移った後も石上氏が城主となりました。
天正3(1575)年に二俣城(浜松市)の守衛として赴いた石上城主の石上兎角之助(いしがみ とかくのすけ)は二俣城の戦いで討死にしたと伝えられ、この後、石上城は廃城になったと考えられます。
石上城は、集落北側の標高560mの山峰から南方に下降する枝尾根が、馬洗沢と外の沢によって三方に浸食された天然の要害地形に占地されています。
先端には石上氏屋敷跡といわれる平坦部があり、城主屋敷と詰城がコンパクトに一体化された中世山城の根小屋空間を形成しています。
笹間川中流域の河岸段丘に開けた石上集落には、笹間川に沿って点在する小集落を結ぶ川沿いの道と、笹間峠などの山越えの道が、藁科川上流方面、藤枝の北部方面、笹間下方面、無双連山越しの徳山方面など、あちこちに結ばれていることから、志太山間部を俯瞰的にみて、軍事的に統制可能な要衝であったとも思われます。
城主であった石上氏の木主(位牌)が登福寺に安置されている他、戦国時代に石上氏が献納した「大般若経六百巻」(県指定文化財)が三光寺(川根家山)に所蔵されています。
(昭和46年3月1日 市指定文化財 史跡)
≪■登城口≫
登福寺境内内に石上城看板(縄張り図)がある。城看板正面に右手へ進むと川に突き当たり、左折。通路(左に寺、右に川沿い)を進むと石上城矢印の看板がある。
≪■遺構について≫
山陵先端にある屋敷跡から南西~北東へ約350mの範囲が縄張りとされる。
屋敷跡背後から一騎駆け状の大手道を登り、
山上裾部東側に竪堀(縄張り図は堀切)、その向かい西側には横堀の始点となる。大手を避け横堀へ誘い、土塁でせき止め、上部から敵兵を狙える。
主要部は二段に区画され、下段西側に現在分かりにくくなっているが虎口が残る。上段の曲輪と、東側縁には土塁が残り、西側は切岸と腰曲輪が残る。
搦手側には60m程の一騎駆けを挟むように堀切と竪堀が明瞭に残る。(見学時間は約45分)
公共交通機関 | JR島田駅北口②乗り場 コミュニティバス「川根温泉線 川根温泉ホテル行」乗車し「デイサービスセンター前バス停」下車する(片道300円)。コミュニティバス「笹間渡笹間線 日掛方面行きに乗り換え「下村」バス停を下車(片道300円)、徒歩約200m徒歩3分で登場口のある登福寺入口に到着する。帰りは、「下村」バス停からコミュニティバス「笹間渡笹間線 家山方面行き」に乗車し、終点の家山駅下車。家山駅より大井川鐵道に乗車しJR金谷駅へ。 |
車 | 新東名島田金谷IC下車、約30キロ(約1時間) |