所在地 | 島田市菊川643−2 (菊川の里会館前) |
電話番号 | ― |
営業時間 | ― |
休業日 | ― |
入場料 | ― |
駐車場 | 菊川の里会館駐車場 |
ジャンル |
文学・句碑
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中納言宗行卿の「辞世の詩」と日野俊基の哀歌
菊川の里会館の入り口横に中納言宗行卿(むねゆききょう)の辞世の詩と日野俊基の哀歌の石碑が建立されています。
菊川の里は、金谷・日坂が東海道の宿場町として繁栄する数百年前の鎌倉時代の初期には既に名の通った「街道の要所」でした。
菊川を有名にしたものの一つに「宗行卿」の故事があります。
承久3年(1221)、承久の乱における鎌倉幕府覆滅計画に加わった中納言宗行は幕府に捕えられ鎌倉に護送される途中菊川に泊まり、宿の柱に辞世の詩を書き残しました。
「昔南陽県菊水 汲下流而延齢 今東海道菊河 宿西岸而失命」
昔は南陽県(中国)の菊水、下流を汲んで齢を延ぶ、今は東海道菊川の西岸に宿して命を失う。
またその110年後の、「元弘の変」[元弘元年(1331)]で同じ運命をたどった日野俊基が、ここで宗行卿の話を聞き哀歌を残しています。
「古も、かかるためしを菊川の、同じ流れに身をや沈めむ」 (太平記)
菊川の里会館から約750m離れた法音寺の裏手に、中納言宗行卿の塚があります。
法音寺まで約300m、そこから約350mです。
■島田市HP内 →日野俊基歌碑ページ
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