所在地 | 島田市牛尾1438 |
電話番号 | 0547-36-7967(文化課文化財係) |
ジャンル |
神社・仏閣
花・木・自然
文化財
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村の守護神 熊野神社。神社と共にこの地を見守る樹齢400年といわれる大楠が見もの
大井川鐵道合格駅から徒歩で約15分、本田山荘の東の薬王寺門前から長い石段を登り詰めると標高約110mの牛尾山の南端、熊野神社の正面に出ます。
熊野神社は、慶長元年(1596年)頃、地元住民が熊野神社を産土神(うぶすなかみ)として勧請したのが始まりと言われ、祭神として伊邪那岐尊・伊佐那美尊・須佐之男命の三柱を祀り、例祭は10月17日に執り行われています。
熊野の神々のお遣いとされ“勝利への道”のシンボルであり、サッカーワールドカップの日本代表チームのマスコットでお馴染みの、JAFのシンボルマーク「ヤタガラス」(八咫烏)と呼ばれる“三本足の烏”の彫り物が奥の院の正面にあります。
「古事記」や「日本書記」には神武天皇率いる軍隊が東征の途上、天から遣わされたヤタガラスの道案内により熊野・吉野の山中を行軍したという記述があります。
市指定天然記念物「熊野神社の大クスノキ」
熊野神社には、樹齢400年を数えるといわれる 樹高35m、根回り11mの大楠が境内に太く大きな根を広げて、熊野神社と共にこの地を見守っています。
平成13年3月26日に当時の金谷町の文化財(天然記念物)に指定された「熊野神社の大クスノキ」です。二軒屋の大カヤ・安田の大シイ(いずれも県指定)に次いで、平成13年に町の文化財(天然記念物)に指定されました。
目通りに注意縄が巻かれ、神社の歴史を物語る威風堂々たる姿を見せています。
金谷の史話、民話、伝説
金谷宿 昔ばなし 第2集 「大きな二本の木の話」
むかしむかし、大井川の向う岸に一本の大きなクスノキが立っていました。大井川のこちら側にも、やはり大きなシイノキが立っていました。
この二本の木は、あばれんぼの大井川をはさんでいつも口げんかをしていました。
シイノキが「おれの方が古くて大きいさ。なにしろ粟ん岳の無限の鐘がゴーンと鳴り始めた時は、おれの生まれたずっと後なんだ」と言えばクスノキも負けずに、「わしの方が古くて大きいよ。駿河山に古墳を造る人たちがエッサカモッサカ土を運んだ時から生きているんだからな」とやりかえします。
シイノキがわめくと、あばれんぼ大井川はやかましさにかんしゃくを起こして、駿河の山にザザザン、ザンザンと波をぶっつけます。クスノキがわめけば横岡や志戸呂の村に、ザーンザ、ザーンザ波をぶっつけます。
このやかましい声とあばれ川の音に駿府のお城のお殿さまはすっかり閉口してしまいました。そして、「二本の木には川向こうでけんかをさせろ。駿河の山は切り離せ」と家来に命じました。
クスノキの立っている山は切り離され、大井川の流れはクスノキより東側に変わりました。二本の木の間には大井川がなくなりました。
クスノキとシイノキが、今まで川だった所を呆気に取られて見つめているうちに、村の人たちはせっせと田を作り畑をたがやし、いくつも村を造りあげました。
人々の働きぶりを見ているうちに、二本の木は気持ちが穏やかになりけんかの事など忘れていました。その後すっかり豊かな心になり、仲直りした二本の木はますます大きくなりました。
行ってごらんなさい。牛尾の山には大きなクスノキが、安田の里にも大きなシイノキがみなさんのことを見守っています。幹に耳をつけて二本の木の昔語りを聞いてみましょう。(作:西村文夫)
発 行:平成7年3月30日
発行者:金谷町長 孕石善朗
発行所:金谷町役場
編 集:金谷町教育委員会
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車 | 金谷駅より15分(5.2km) |