野田の城山(のだのじょうやま)

所在地 ・国道1号線バイパス、野田ICの後方 ・島田市ばらの丘公園の東方の山
電話番号 教育部博物館課文化財係
電話:0547-36-7967
営業時間
休業日
入場料
駐車場 島田市中央公園第3駐車場または第5駐車場をご利用下さい。 (無料)
WEBサイト
備考

施設案内

野田の城山(のだのじょうやま)

南北朝時代と戦国時代に城・砦として活用??‼

(南北朝時代今川範氏が攻略した大津城か?!・戦国期武田氏家臣の初鹿傳右衛門が武田流に改良を加え在城)


 野田の城山は、島田市街から大津通りを1.5km北上し、国道1号線バイパス野田ICの後ろに存在します。標高151m。

 令和2年の新春に地元の有志「城山を学ぶ会」が発足され、メンバーの皆さんにより、野田の城山の整備が進められています。現在、3つの登城コースを整備・案内看板が設置され、堀切、帯曲輪、切岸等が確認できます。眺めの良い山頂(主郭)まで、どのコースからでも20分程で到着できます。

また、同場所にある「城山古墳」も「城山を学ぶ会」のメンバーの皆さんが周辺の竹藪を伐採し、その形態を見る事ができます。

≪野田の城山 (大津城?)について≫

 南北朝時代、反足利尊氏派南朝方の佐竹兵庫入道らは安倍城を追われ、駿河大津庄(島田市大津)へ退去し、城郭(大津城)を構え立て籠りました。今川範氏は北朝方足利尊氏に南朝方の退治を命ぜられ、伊達景宗らを率いて観応3(1352)年8月20日大津城を攻撃しました。佐竹方の抵抗は激しく、大津城は容易には落ちませんでしたが、約半月後の9月8日、佐竹方は大井川上流川根の鴇彦太郎の徳山城へ落ち逃げ、戦は今川方の勝利となりました。

「駿河志科」には、戦国期に武田氏家臣の初鹿傳右衛門が在城したとあります。

今川範氏が攻略した「大津城」については見解の相違があり、現在候補地が何か所かあり、現在確定はしていません。

≪大津城の候補地≫

1野田の城山

2島田市落合の「すもう段」

3島田市大草の「慶寿寺の裏山」

4藤枝市滝沢「滝沢城」

近年、立地場所・山地に位置し、野田の城山こそが「大津城」の可能性が高く、また今川方の城(砦)としても活用されたのではないか?!と、今後発掘調査等が行われ、成果と期待が待たれる遺構です!

≪登城ルートは3コース≫

①中央公園ルート入口 (頂上まで一番傾斜が無いコース)

②野田ICルート入口(頂上まで傾斜あり、攻めて側の気持ちで登城できるコース!)

 

③安間堰ルート入口(頂上まで傾斜あり、城山古墳を経由するコース)

交通案内

公共交通機関 (中央公園ルート/ばらの丘公園通りからの登城口) 島田市立総合医療センターバス停より徒歩7分程 または中央公園・バラの丘バス停より徒歩7分程
中央公園ルート入口は、島田市中央公園第5駐車場から最寄りの登城口まで徒歩2分