鵜田寺

所在地 島田市野田1195
電話番号 0547-36-9465
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備考

施設案内

島田髷を初めて考案したと伝えられる虎御前の供養塔がある島田市最古の寺


鵜田寺は、真言宗の古刹で、大草の慶寿寺の末寺で天正山と号します。

島田市最古の寺であり、眼病に効くお薬師さんとして信仰を集め、薬師堂、虚空蔵菩薩堂、庫裡(くり)配し、寺域は300坪に及びます。

本尊は薬師如来像で、開山にまつわる資料として、江戸時代に書かれたと考えられる寺の縁記によると、永禄11(1568)年に武田信玄の焼き討ちに合い、天正年間(1573〜92)年に再建し、その時号を天正山と名付けていたことがうかがえます。

また、本寺である慶寿寺文書の永正年間(1504〜21)の記録によれば、鵜田寺は「野田薬師堂」と呼ばれており、鰐口一点を宝蔵しているとあります。

この鰐口は、寺の由緒である伝説が刻まれており、重さは9キロ県内の鰐口の中で最大のもので、昭和31(1956)年10月17日県指定文化財に指定され、また鵜田寺木造薬師如来坐像は平安時代後期の作といわれ、昭和33年(1958)年4月15日 県指定文化財に指定されています。


島田髷を初めて考案した虎御前

寺域には白藤のからむ杉の古木があり、その根元に宝筺印塔(ほうきょいんとう)とその左右に地蔵尊が祀られています。

この宝筺印塔は、鎌倉時代、大磯(神奈川県)の遊女 虎御前の供養塔と伝えられ、人々は白藤塚と呼んでいます。

曾我兄弟の仇討で有名な鎌倉時代の武士曾我十郎祐成と虎御前は関係があったと伝えられ、また古来からの伝承で「虎御前は島田に生まれ島田髷を初めて考案した」とあり、これに因んで、毎年9月の第三日曜日には島田髷の供養祭が行われています。


【関連WEBサイト】

■島田市ホームページ内鵜田寺木造薬師如来坐像のページ

■島田市ホームページ内 鵜田寺鰐口のページ

交通案内

公共交通機関 〇静鉄バス 「金谷島田病院線(または静波線)島田市立総合医療センター行」で約9分、「島田市立総合医療センター」下車 徒歩1分 〇島田市コミュニティバス 「大津線 天徳寺方面行」で約9分、「島田市立総合医療センター」下車 徒歩1分
島田駅より5分(2.1km)