千葉山智満寺
所在地 | 島田市千葉254 |
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電話番号 | 0547-35-6819 |
営業時間 | - |
休業日 | - |
入場料 | - |
駐車場 | 無料駐車場あり |
WEBサイト | https://chimanji.sakura.ne.jp/ |
備考 |
施設案内
多くの貴重な文化財を伝える天台宗の古刹
標高496メートル程の千葉山の山中にある天台宗の寺院です。
源頼朝をはじめ、戦国大名 今川氏・徳川氏から帰依を受け手厚く保護されました。
開創
寺伝によると、神護景雲年中(767〜769)に鑑真の法孫(孫弟子)にあたる広智(こうち)という高僧がこの地に草案を結び、宝亀2(771)年に光仁天皇の勅願により鑑護国家の御願寺になったのが智満寺の創建といわれています。
なお、当初は宝亀山また広智山と称していました。
平安時代~鎌倉時代
平安時代中期以降に、修験道の霊場である山岳寺院として栄えたと考えられています。
その後、大伽藍は火事に遭い消失。文治5(1189)年、源頼朝の命により、千葉常胤・常師らによって本堂が再建されました。
この再建を契機に千葉氏の名を末代に伝えるため、山号が千葉山と改められました。
また、本尊の千手観音菩薩像は本堂再建との関係が指摘されており、平安時代後期の作とみられています。
なお、同鎌倉時代には山頂の奥ノ院が建立されています。
1984年の本堂下とその周辺の発掘調査により、本堂の瓦が平安時代中期から鎌倉時代初期のものであることが判明しています。
また、このとき本堂の創建年代・再建年代などを裏付ける貴重な資料等が出土しています。
室町時代
南北朝時代の動乱の影響を受けて寺院は荒廃し、文和3(1354)年に再び火災に見舞われました。
その後、延文年中(1356〜61)に駿河守護今川範氏の庇護を仰ぎ復興されました。
戦国時代~安土桃山時代
今川氏没落後の永禄11(1568)年、駿河へ進出する武田信玄によって現在の大津地区の多くの神社が焼失しました。
智満寺も甲州勢に攻められましたが、幸いにも戦禍を逃れることができました。
天正16(1588)年、藤枝の医師河村次郎右衛門が薬師堂を建立しました。
また、翌年天正17(1589)年3月には徳川家康の命により、本堂や中門が再建されました。
これが現在に伝わる本堂で、五間堂、茅葺、入母屋造は桃山文化の影響がみられます。
江戸時代~
慶長10(1605)年に厨子、慶長15(1610)年に二十八部衆の像が再建されました。
この後、江戸時代に入り仁王門・鐘楼が建立、伽藍が形成され、現在に至っています。
なお、智満寺の本堂・薬師堂・仁王門・中門は国、県の重要文化財に指定されています。
天然記念物・十本杉
周辺には、昭和39(1964)年に国の天然記念物に指定された推定樹齢800〜1000年とも言われる巨木 十本杉(開山杉・大杉・達磨杉・雷杉・常胤杉・経師杉・一本杉・盛相杉・子持杉・頼朝杉)があり、圧倒的な迫力・生命力が見ものです。
(※開山杉、子持杉、頼朝杉は老齢により枯死・倒木しており、現存していません)
年中行事・鬼払い
毎年1月7日には、400年続く伝統行事「鬼払い」が催されます。
これは松明を持って暴れまわる3匹の鬼を僧が法力で追い払うというもので、この松明の燃えさしは魔除けになると言われています。
この行事は「しまだ市民遺産」にも認定されており、毎年多くの参詣者が訪れます。
交通案内
公共交通機関 | JR島田駅から島田市コミュニティバス大津線「天徳寺行き」に乗車、天徳寺バス停下車、徒歩60分 |
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車 | 島田駅より約25~30分(12.9km)、新東名島田金谷I.C.より約27分~32分(15.1km) 途中から道が細くなりカーブが多いため、運転にご注意ください。 |